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イギリスの空の下からのつぶやき

イギリスの空の下からのつぶやき
<< 涙のアベニュー。。。。。。お財布の彼 | MAIN | ありがとう。。。。。。。。。。。明日もきっと晴れるでしょう。 >>
 卒業式の涙。。。。。ラフマニノフ Piano Concerto No2 in C minor
先日、プレパラトリースクールに通う13歳の長男の卒業式だった。
3歳から通いだした、この学校、、
途中18ヶ月間、オーストラリアにぬけたけれど、
それにしても長い長い。。。
約10年のここでの学校生活であった。。

正直、いろんな事があった。




運動会の後の学校の庭でのピクニック


                             講堂 


                             食堂


                             廊下


                        何度も上った階段     


                             運動会

        約10年の想い出がここに詰まっている
                         Photos by Jumi

class="pict" />
    卒業できたろうか。。。。
                        Photo by my son





私は息子が卒業するから、
感慨深くなったわけでもなく、、
そして感動しただけでもなく、、


私は
この10年の間に
自分自身にふりかかった
辛かったこと、
嬉しかったことが、
一挙に脳裏をかすめ、


Prize Giving <プライズギビィング>という
学年末最後の生徒達の表彰式の前に行われた、

Leavers’s Service<リーバーズサービス>
<学校に隣接する教会で行われた、卒業生のためのお別れの儀式>
の時は、


胸にこみ上げてくるものを
押さえつけていることができなくなって困った。



慣れないイギリスで、
子供達の学校生活を支える
母としての立場の外国人の
私にとっては、

ここでの10年は、
やはりそれなりに
大変だった。



正直に言おう。




私が、
イギリスでの生活を振り返った時に、



長いイギリス生活で
一番辛かったことは何ですか?っと
もし誰かに質問されたとしたら、



この、、
子供達の学校生活にまつわる事っと答えると思う。



誤解を生じるといけないから、
はっきり言っておく。



子供達はこの学校で
とっても幸せな学校生活を送った。
田舎の素晴らしい環境に恵まれた、
この学校で彼らは、
素晴らしい友人達に出会い、
そして兄妹に近いくらい仲良く、
近しく、
一緒に成長していったのだ。
そして
彼らは
いじめという言葉とは程遠い、
子供らしい、
人間らしい、
自然に満ちた環境の中で、
生活を送った。



もし私が小さな子供だったら、
この学校に来たかったと思う。



そして迷うことなく、
もしもう一度、
人生があるとしたら
自分の子供達を
この学校におくると思う。



私達は
それくらい
素晴らしい学校に出会えたのだ。
そしてその気持ちは
今も、
これからも
決して変わらない。



上の子が二歳の時、
初めて、この学校を見学に来た。
庭の美しさ、
そしてスタッフのよさ、
そして校長先生もすべてのスタッフも
生徒達全員の名前を覚えていた。
日本でしか教育の受けたことのなかった私は、
ここでの学校生活は、
御伽噺のように思われた。



私立だけど、
学費は支払っていけるだろうか、、、とか
経済的に悩むべきことがたくさんあった。
我が家は世間でいう
お金持ちとは程遠い、
まったく平凡な
家庭だ。



でも、
この田舎のあまりの学校の環境の良さに、
一目ぼれしてしまった。



何とかなるどろう、、
っと、
かなりの経済的な心配を胸に抱えながらも

それでも
何よりも
少しばかり、
照れ屋で人見知りなところのある息子が
ここが大好き!
という言葉と願いを
きいてあげたかったのだ。



経済的に
いつまで出してあげられるかどうか
まったくわからなかったけれど、
でも、
ここ、2〜3年だけでも
いいではないか。。。。
今、
この子が行きたいと思う学校を
短い間だけでも、
行かせてあげたい
と、
かなりの勇気をもって
決めてしまった。






そして2〜3年というつもりだったのが、
あまりの子供達の楽しそうな姿をみて、
結局卒業式まで
迎えてしまったのだ。




三歳で入学後、
学校は期待を裏切ることなく、
上の子は毎日
一日もやすむことなく
毎日の学校を楽しみにした。
風邪をひいても
学校に行きたい!っと
困らせたこともあった。



ところが、、、、
子供が幸せでも、
私には、辛いことが押し寄せた。




イギリスでのお母さん社会は



正直、、、、



厳しい!




三歳の息子を抱え、
毎日の送り迎えは、
決して楽ではなかった。



肉体的に??
いいえ、、、
精神的にだ。



かなりの苦痛を虐げられた。



まず、
息子がお誕生日のパーティに招待を受けた。
その出席の返事をするために私は
その家に電話をかけた。


私は、その子の名前が
ルイーズだと思って、
ルイーズの誕生パーティに行きたいと声をかけたら、
電話の向こうで怒っているのが想像できた。


うちの子の名前はルイーズではない、、


ルイスよ!!っと



大きな声で冷たく言われた。



このお母さんは初めから苦手だった。
後、、この男の子が転校するまでの、
約、4年くらい、、
このお母さんから辛い仕打ちを受けた
かなり辛かった。



ハローっといっても、
聞こえてもわざと無視するお母さんもいたし、
本当に辛かった。


子供が大好きな学校だから、
辞めたい!とは
いえなかったけれど、
正直、、
辞めて、どこかに行ってしまいたいっと
思うほど、
精神的な打撃は受けたと思う。



肩を丸め、
背中を地締め込ませる私に、
小さな息子が言った。



お母さん、、
今日一緒についてくるのが、
辛かったら、僕ひとりでもだいじょうぶだから、
こなくてもいいからね。


と。


ごめんね。。。っと、
私は息子に謝った。



息子はとっても私の
そういう気持ちをよく
理解してくれていた。



サッカーの試合やら
クリケットや
ラグビーの試合があっても、



お母さん達はそんなにこないから、
観に来なくていいからねっと
私のために言ってくれた。




本当は観にきてほしかっただろうに。




試合の観戦は、
行けば行ったで、
私にとっては居心地のいいものではないというのを
息子はわかっていたのだ。



試合中は、
学校の母親同士で固まり、
試合後は
ホールか
ダイニングルームと呼ばれるところで、
サンドイッチやスコーンなどの
アフタヌーンティーが
でる。



そこで、
私が一人で辛い思いを
させてはいけないと
息子なりに思いやってくれたのだ。




私は
すっかりそんな息子の優しい言葉に甘え、
多くの
そう、、
選手で選ばれた息子の試合を
観にいってあげなかった。



そして娘のも。



でも、、



10年近くの時も流れ、
やっと私は、



それらの環境になれ、



そして
学校の中でのいい母親友達ができて、
そして
今では学校の先生の一人と大の仲良しで
一緒に
食べたり飲んだりしている。



そして
それらの行事に参加することに苦なくできるようになるまでに


でも、、
10年.。。



10年かかったのだ。



10年.



信じてもらえるだろうか。



日本から、
会社の辞令で
海外赴任で日本人のご家族がイギリスにも
やってこられる。



私は、
海外で
子育てをする、
日本人のお母さんの苦労を
どうか
世の夫達に
わかってほしい。



もし自分の妻が
赴任でついてきて、
言葉を駆使し、
もしかして
冷たい視線を浴びていることもあるかもしれない。



でも妻には休みはない。
子供を学校に送り、
そして
迎え、
慣れない行事に参加し、、


とっても大変なのだ。
白髪が増えるくらい。



どうか
その辛さを理解してあげてほしい。
そして
時々でいいのだ。
今日も頑張ったね!って
ねぎらってあげてほしい。




私にとって
初めの2〜3年は本当に辛かった。
日本人のいない中で
本当に辛かった。



布団の中で
泣いたことも
何度もある。



日本人が
私一人だけというもの珍しい、
イギリス人の学校社会の中で、
私は、どう対応していったらいいかわからなかった。



一番辛い仕打ちは、

ハローっと言って、
無視されることだ。


これほど辛いことはない。


人間をやってきて、
挨拶をして、
無視をされた経験というのは、
生まれてきて、
この国に来るまで
一度もなかった。



想像してみてほしい。
目の前で挨拶する自分に、、
まるで、
そこに誰もいないかのように、
通り過ぎる。



私は透明人間ではないのだ。
私は、
珠美という
名前を持った
人間なのだ。




もしそうされたら、
自分の存在を否定されることになる。





残念ながら、
たった二人、、、
そういうお母さんがいた。



私は、これらの経験を通して、
人は人を差別してはいけないということを学んだ。



国が違うから、
人を上と見たり、
下と見たりしてはいけない。




人間は
そう、、、人間は
誰かを
卑下することも
苛めることも
いけないのだ。



差別することはいけない。



そして私がもっとも嫌いなこと、、、
弱いものを苛めることは
絶対してはいけない。



もしかして
私を無視した御母さんは、
その日の朝、
おもしろくないことがあったのかもしれない。



私は、
もしかして、
単なる、
はけ口として、
冷たい態度をとられて、
彼女達の
ストレスの解消にされたのかもしれない。

もしかして、
とっても辛いことがあって、
思わず、私のことを
無視したのかもしれない。。。。



そう思うようにした。



あるクリスマスの少し前の事、


例の御母さんの
私を目の前で無視する姿に耐えられなくなって、
私は、少しばかり、ノイローゼになった。


その時に
私は、日本にいる姉に手紙を書いた。


辛い気持ちを全部書いた。


母には言いたくなかった。


イギリスにやってきたのは
私の意志によるものだったから、
弱音ははきたくなかったのだ。
私の母は
性格はサウンドオブミュージックのマリアのように明るくても、
身体は弱く、
儚かった。


だから、
弱音をはくことは
私にはできなかった。


でも、、限界だった。


ごめんなさい。
おかあさん。。。



姉に、、、悲しいことを全部書いた。
辛いことを全部書いた。
何枚も
何枚も
書いた。



手が痛くなるほど、
書いた。


ペンの先がよじれるほど。


姉から返事がきた。


彼女は穏やかに
そして私を諭すように、
心に埋め尽くされないくらい、
生きていくための
言葉を私に送ってくれた。



あなたは、
そこで、
あなたを目の前で無視いていく人達よりも
あなたの方が
ずっと大人で、
そして
たった一人、
遠い異国からやってきたあなたは、
その人たちよりも
遥かに、
視野の開けた、
国際人であるということを
誇りにしなくてはいけない。



小さなあなたが、
それでも
よくわからない言葉を駆使し、
誰も知り合いのいないところで、
子供を生み、
そして育て、
生きている。



それと同じことが
その彼女達ができるだろうか?



私は無理だと思う。



私はあなたが妹として、
遠い言葉の通じない異国で
頑張っている姿を
本当に誇りに思う。



だからこそ、
自信をもってほしい。



そして、
それでもどうしても
あなたがこらえることができなかったら、
たった一ついいことを教えてあげよう。


これは
あなたにおくる
たった一つの秘密の言葉だ。



あなたは、
曲がりなりにも
演劇の勉強をしたことがあるのでしょう?



どうしても無視する人がいて
辛かったとしたら、
女優になりなさい。



辛い役を辛いと思って演じるのではなくて
幸せな気持ちで
あなたの人生の役を演じなさい。
女優になったつもりでね。



相手からみると
あなたが傷ついていると思うのがおもしろいのよ。
だから、あなたは
そういう暗い自分を演じないで、
思いっきり、
底抜けに明るく
彼女達がびっくりするくらいの
幸せな態度で振舞ってごらんなさい。



そう、、、
女優になったつもりで演技をしてみなさい。
できるでしょ?



あなたの人生は
あなたが主役なんだから
だからこそ
そのヒロインらしく
美しく堂々と演じるべきよ。



そうすれば
人生は、
意外にも
辛いことばかりじゃなくて
きっと
素敵なものって思うはず。



姉の言葉に救われた。



そして私は同じ頃、
やはり耐え切れなくなって、
この気持ちを我が夫君にも打ち明けたのである。



彼の反応は、
静かに、
聞いていたかと思うと、
たった一言私に言った。



今度彼女に会った時に、



ハローっと言ってごらん。



そしてもし又無視されたとしたら、

彼女の目の前にいって、

きちんと丁寧にもう一度 

はっきりした言葉で

ハローっと言ってごらん。




彼女がハローっと言ってくれるまで、
諦めるな。



たった、短いアドバイスだった。




私は翌日、
姉と彼に言われるままに、
女優になり?
演技し、
最高の微笑みでハローっと言ってみた。


勿論、、相手は無視した。



そして、、二日目、、、無視。。。



三日目、
もう少し堂々と、
明るく振舞ってみた。


びっくりした相手は、

仕方なく

小さな声で

ハローっと言ったのだ。。。



それからだ、、



周りの様子が変わっていったのは。



彼女は、
私に会えば、ハローっと言うようになったのだ。



私は、、
だから、
ハローという言葉は、
私の中で、
忘れられない。



ハローっという言葉は



もっとも辛く
そしてもっとも想い出深い言葉だから。



こんなことを書くと、
イギリスはなんていやな国だろうと思って誤解をされてしまうかもしれない。



どうか誤解をしないでほしい。



イギリスは、とってもいい国です。



そして私はイギリス人が好きです。
そして
日本の次に大好きな国はどこかといえば、
迷うことなく
イギリスっと答える。

正直、今の私は、
日本かイギリス意外の国では暮らしたくない。
他の国は、訪問するのはいいけれど、
暮らしたくない。
それくらい、
私は、日本もイギリスも大好きだ。



イギリスは、
めくりめく季節の中で
それでもいつでも
私に優しくしてくれたし、
何度も
助けてもらった。
勿論、、、
今書いたように、
私にほんの少し
意地悪をしたイギリス人もいた。
こちらに来た当初、それなりに苦労こそしたけれど、


でも、
そんなことを吹っ飛ばすくらい、
私は最高にいいイギリス人の友人に恵まれた。



日本で生まれ育った私は、
いつか自分の母国に帰りたいっと話すと、


彼らは口をそろえて、

うそ。。。。。

帰らないでほしいっと

言ってくれる。

できることなら、
一緒に近所のナージングホーム<養老院>にでも入れたらいいねっ
と、言ってくれたり。。<笑>



ごめんなさい。。。。。私は食事がついていけないから、、、
ゴメン!ね。。。
でも、遊びにくるから・・・・・
ね。!っ
と、 言う。



イギリス人は
一度仲良くなると、
両手をいっぱい広げて、
胸の中に抱きしめてくれる。
こころから支えてくれる。



1年、2年、、、、
少し時間がかかっても、
でも、
一度心を開いてくれると、
とっても
親しい間柄になれる。



私は思うのだ。
心ない仕打ちをする人は、
日本人だから、
差別をするとか、、
そういうことではなくて、
単なる、
意地悪なのだと思うのだ。



外国人がただ単に苦手なのだ。
少し顔立ちの違う人間に慣れてないだけなのだ。
きっと。
そのしわ寄せがたまたま私のところにきたのだろう。


国が違えば、仕方がない、
ここは私の国ではないし、
不満を言ってはいけないのだ。


私はいつも心に思う。
大事な言葉だ
そして
自分に言い聞かせる。
忘れないように。


郷に入れば郷に従え。

と。


Leavers’Service
を行っている教会の中で
私は子供達のこの学校生活よりも、、
自分とこの学校とのかかわりを思い浮かべていた。


他人から聞いたら、
何、、、
無視されたから、
それくらいでしょげるの??
って怒られるかもしれない。


でも、、弱虫の私はとっても悲しかった。


すっごく辛かった。


何度も泣いた。





卒業するまで、
子供達は
この学校でかけがいのないほど、
たくさんの愛情を受け
たくさんの素晴らしい友人を得て、
この上ないほどの学校時代を送れたと思う。



だからこそ上の子の次の学校選びに関しては、
悩みに悩んだ。
希望通りの
いくつかのパブリックスクールからの
スカラーシップと
ラブコールを頂いたにも関わらず、

周りの友達が
それらの学校に行くのを尻目に、
でも最終的に
本人の好きな事を中心の生活に
重きを置くことを決断し、
普通の通いの学校への選択をしようと
決めた。


そこの校長の暖かい子供へのまなざしと
好きなことがあることを
とっても理解し
支えてくれるというのも
大きな決断の一つになった。


それによって、
下の娘も
上の子について同じ学校に
転校することになった。
<下の娘は学校が変わることに涙を流した>


それはそうである。
子供達が通っていた学校は
おそらく
多分、、
本当に
ここまで
いじめもなく、
平和で
楽しくて
子供にとっては
天国のような学校だったから。


この学校には感謝しきれない。



好きな事を伸ばしてやれる環境にと
学校の名前よりも、
今ある本人の環境と人とのつながりを最大限に大事にすることにした。


それに世間的に名前が通った有名校だったとしても、
果たしてそれが本当に幸せなことだろうか?
本人の好きなことを
伸び伸び伸ばしてやる環境に導いてやることも
一つの選択でもないのか。。。。。。


我が家は、
最終的に、
学校を決めたのは、
一番最後だった。



私は、
仕事にかかると、
そっちにばかり気が取られて、
ついつい、
家庭の事が後回しになってしまう。
子供達のこともそうだ。



そして
ついに
学校の先生から
呼び出しをくらってしまった。
お宅だけですよ。
どの学校に行くか決めてないのは。


周りのお母さん達からも、
どの学校に決めるのか、
ある意味、
息子の行き先は
興味をもたれていた。



最終的に
通いの学校に行くことを決め、
そしてその他のパブリックスクールには
断りの手紙を書くことにした。


断る手紙を書く、、タイプを打つ手が震えた。。
これでいいのか、、本当にいいのかっという
思いがあったからだ。
本当に手が震えた。



周りの母親達が言った。
よく決断したねっと。
でも、そういう選択の仕方もあるんだと思う。
っと。



今でも、時々思う。。
これでよかったのだろうかっと。



子供の人生を
親が決めてしまっていいのだろうか。。
責任がある。


息子が言った。



ピアニスト<先生>とは別れたくない。



これが決定的な言葉だった。



息子には、
その言葉が
将来の学校を決める一つになるなどという重みは
なかったと思う。



いいのだ。
それでも。



私は、
外国人だ。
私には、
身分もなければ、
階級もない。



私は
私でしかないのだ。




そして
その子供も
子ども自身でしかない。




人に迷惑をかけずに
思ったように
生きてみよう。





バレエに人生をささげたいという思いをもって
日本から、
私のもとにメールが届く。



熱い思いが、
私にも伝わってくる。




あるご両親は
高校を中退してもいいのです。



又、
あるご両親は


中学は卒業しましたけど、
次の学校は決めてません。
後はありません。
日本で行き先はないんです。




日本の学歴にこだわるよりも、
子供の夢を
支えてあげようと思います。



娘が将来バレエ団のプロのダンサーになれるなどということは、
それがどんなに大変なことかということはわかっています。
難しいことはわかっています。
おそらくそれがどんなに無理だろうということくらい、
親としてわかっています。



ただ、
私達にできることは、
子供の好きなことをできる環境を
与えてあげたい、
それだけなんです。



私は、
こういうご両親の姿勢に
本当に胸を打たれる。



いい家庭に育ちながら、
日本のいい学校生活にいける保証があるにもかかわらず、
悠々とそれらをあっさり捨てて、
海のものとも
山のものともわからない
イギリスの
バレエ学校に飛び込んでくる。



子供達の夢を支えるために。



だから
一生懸命私なりに
力になってあげたいと思う。



現在進行形の成長期の子供達を抱える私だからこそ
子供を育てるそれぞれの親の気持ちを
100パーセントとはいえなくとも、
私なりに一生懸命理解しようと思っている。



私も仕事を離れれば、
一人の平凡な母親である。


学歴をとるかとか、
好きな道をとるかとか、、、


一応、考えてみるのだが、
私自身が好きな道を歩ませてもらったので、
ある意味、
迷いながらも、
今の選択でよかったと思っている。
人生、学校だけではないのだ。


私は、
人に迷惑をかけず
好きな道に歩んでほしいと思うと同じように、


たくさんの素晴らしい友人を作ってほしいと心から願う。



子供達に言う、



友人は宝だよ。っと。


私が

この外国で

今でも

元気でめげずに生きていられるのは、
日本に、
イギリスに
減らず口の減らない
でも
心優しき
愛すべき
素晴らしい友人達がいてくれるからだ。
そして家族がいてくれるからだ。



家族は必然的な範疇にあるとしても、
友人は、
君が思いやりを持って接すればこそ、
君の力になり、
そしていつまでも君を支えるだろう。
生涯、君の親友だ。



私が教えてあげられることは、
あまりにも少なくて、
あまりにも、
風にとばされてしまうくらい、
小さく儚い。


でも、
こんな異国の果てに一人でやってきて、
私が言ってあげたい言葉は
やはり
人と人の繋がりだ。



人を愛すること
友達を愛すること。



誰かを憎むよりも
愛することの方が
もっと
幸せであるということ。



人を差別したり
憎んだり
苛めたりしてはいけない。



人は愛するためにあるのだから。




決して
頭脳明晰でない私が
それでも
人間何十年かやってきて、
そして
外国に
やってきて、
あらためて
思ったことだ。




私は人間が大好きだ。



人を愛したい。





ラフマニノフに恋していると、、
このブログでも何度かつぶやいたことがある。



ラフマニノフの音楽は、
イギリスにきて、
人生の節目節目に、
私の脳裏を
駆け巡る。



ラフマニノフは
おそらく
ピアニストの中でももっとも手が大きいといわれ、
決して、
容貌的に美しいともいいがたい、
長身の大男であったという。



彼の生きていた時代は
残念ながら、
作曲家としてあまり評価はされていなかった。
彼の音楽が認められるようになったのは、
実は、近年、、最近のことなのだ。



そして
生涯、笑うことがなかったのではないかという
ある意味、不機嫌なイメージの付きまとうラフマニノフは、
後、
D.A.B ヤングとう人から
<マルファンシンドローム>という病気を指摘される




以下、<中村紘子著 ピアニストという蛮族がいる>より

マルファンシンドロームとは、結合組織が犯される遺伝病で 
骨格系でもっとも特徴的なのは骨の長軸方向への過度な成長という点で
その点、正常な身長よりも大きくなり
体幹よりも骨肢の方が不釣合いに長く
手足とも指が細長くなる。。。。。。。等。。。
要するに、ラフマニノフの手が異常に大きく
過度の伸縮が認められるのは、
マルファン症候群の典型であるということになる。
ラフマニノフの作品における
異様にも美しい <浪漫派最後にして最大の輝き>といわれる
複雑な音のうねりは
少なくとも技術的には
極論すれば病気が名作を生んだともいえるのだ。
      



と、、、

少しばかり
ラフマニノフのことにふれてみた。



ラフマニノフは、
それでも、
あまりにも
美しい音楽を
この世にたくさん残してくれた。



彼の指の長さは、
確かに
あの流れるような
旋律と音の流れを
生んだのかもしれない。



そして少なくとも
ここに一人、



彼の音楽に支えられている端くれの一人がいる。



イギリスの田舎道と
ラフマニノフの音楽はとっても似合う。
特にピアノ協奏曲第二番Cマイナーは、
聴いていると、
たまらない。



息子の初めて
学校に行く時の車の中で、
そして息子を学校へ迎えに行く車の中で



悲しかった時に、
そして嬉しかった時に、
不機嫌だった時に、
幸せだと感じた時に、



ラフマニノフのこの音楽は
いつも包んでくれる。



私にとってのイギリスを語る時に
彼の音楽が
私の背景にいつもある。



少し悲しそうな
そのメロディは
静かに心の中にさざめく。



Leavers’ Serviceの行われている教会の中、

賛美歌が頭の上を通り抜け、
何故か、
ラフマニノフの音楽が頭の中をよぎっていった。



長い長い、、
この学校での10年。。


泣いたこともあった10年、、、



私は
目頭を押さえた。




息子の親友の何人かが、
鼻をすすっている。
顔中涙をためている。
グシュグシュだ。、、、、、


男の子でもあんなに
身体いっぱい泣くんだ。
思った。


そして
Prize Giving の式典の後、
学校の庭で、


涙をいっぱいためて
13歳の男の子と女の子達は、

兄妹のように
それぞれが抱き合い、

血こそ繋がらないが
一緒に育ってきた

近しい仲間の胸に
顔をうずめて泣いていた。



びっくりした。



私の知らない世界だ。



ここはイギリスの学校なのだと
あらためて思った。




そういう姿を
ぼ〜っと見つめながら、
私の心の中は、


再び、、



ここでのたくさんの想い出で
溢れてくるのを抑えられなかった。



誰の卒業式なのだろう。



息子の??



確かにそうかもしれない。



でも、

私にとっては



私の卒業式でもあるのだと


この時思った。


誰にもわからない。


でも、


私は、


少なくとも、



初めてこの校門をくぐった
約10年前の私より、
たくましくなり、
わずかながら、
成長したと思う。




そうだ、
私は
この日


息子と共に


私も


この学校を卒業したのだ。




私の脳裏に
たくさんの思い出と共に
ラフマニノフのあの音楽が
まるで
鍵盤の上の
彼の細くて長い指の
うねりのように、
何度もこだまして
駆け抜けていった。







追伸

ラフマニノフの音楽をまだあまり聴いたことのない人へ
お勧めの曲は

Piano Concerto No 2 in C minor
Symphony No2 in E minor
Rhapsody on a theme of Paganini

|  〇笋了廚 | comments(6) | - |
始めましてJumiさん。
じゅじゅさんのところから飛んできました。

今回のこのエントリーに涙がどっと溢れてきました。
自分も同じ境遇とかそういうのではなく(ただ同じくイギリスに住んでいます)、ただただJumiさんの心の叫びに涙が出て出て仕方ないのです。

異国に住む大変さ、イギリスの不便やサービスの悪さにただ怒り狂っても所詮外国人の私たち。
わかります。日本はなんて住みやすい国だと毎回思います。でも、この国に慣れている自分もいるんですよね。

Jumiさんの日記を読む度、ふとした言葉にいつも涙しています。何というか、心の琴線に触れるんです・・・。
| piggy | 2006/07/20 4:53 AM |
Piggyさん、、こんな私の独り言ブログに、
心を触れてくださって、ありがとうございます。
そう言っていただくと、ウルウルしてしまいます。

琴線。。。。すごく綺麗な日本語ですね。
私のブログにもったいない言葉です。
ありがとうございます(*^_^*)


Piggyさんもイギリスに暮らしてらっしゃるんですね。
この国で外国人として生きてみると、
きっと言葉では言い尽くせないようなやはりいろんな苦労があると思います。


実は、あの<ハロー>という言葉について書くかどうか悩みました。
正直、そうやって悩んで泣いているような弱虫な自分をさらけだしてしまって、、いいのだろうかって。


でも、、、卒業式の時に、
たまらないほど、いろんなことが頭の中に浮かんでしまって。
ハローという言葉は、きっと私の中では、一番辛い言葉でもあり、
でも、裏を返せば、一番エネルギーを与えてくれる未来に通じる言葉でもあるわけで

ずっと心の秘密にしておいたこのことを、
そして弱虫で情けない自分をさらけだしたくなりました。

と、、、言うか、、
私も、成長して、
卒業したかったんですよね。きっと。


これからも、、泣き言を言ってしまうときがあるかもしれませんが、。。。
見守ってください。
私もPiggyさんの事応援してます。


ところでじゅじゅさんは、日本一センスのいい女!だと思いませんか?




| Jumi | 2006/07/20 8:46 AM |
Jumiさんありがとうございます。
私は北イングランドに住んでいますが、
生活しているとやっぱりいろいろ
ありますよね。
別にちょっとしたことで、
悔しい思いをしても、心にズキンと来る感じで、
誰彼かまわず自分の気持ちを吐露できる
わけでもないので、Jumiさんの話しに、
あ・・・、わかるな〜と。弱虫じゃないですよ。強いですよ。
同時に同じ日本人として切なく、郷愁を覚える感じでした。
ありがとうございます;>

じゅじゅさんのセンス私も大好きです。
カッコイイですよね〜。(会った事ありませんが・・・)
| piggy | 2006/07/21 7:06 PM |
Piggyさん。 
北イングランドからありがとうございます。
私、、北って大好きなんです。
Piggyさんはもうご存知かと思いますけど、
今、私、日本の東北にはまってます!


イギリスでは、スコットランドのハイランドの
グレンコーというところに行ったことがあるのですが、
とっても感動しました。
大きな都市では、学生の街、マンチェスターも大好きです。


海外に暮らしていると、残念ながら、
たまに遭遇してしまうかもしれない、、
なんでもない、冷たい態度、、、、とか、、、
外国人としては避けて通れない道ですよね。


そういうさりげない冷たさとか、、
すっごく悲しいですよね。


でも!めげないようにしましょうね !


私、思うんですよ。
イギリス人でない自分を、
それでも優しく受け入れてくれて、
理解してくれるイギリス人とかたまにいるでしょ。


そしてこの国があるわけでしょ。
だから、幸せだなって。
単純な私ですみません。。
オバカですよね。。(>_<)


だから郷に入れば郷に従え!って。 
これからもきっと辛いときは、
泣き言言うと思います。
その時はごめんなさい。。<m(__)m>


Blue の時は思いっきり、Blue になります。(>_<)
なんか、Piggyさんの言葉をきいて、
もっともっと、自分らしくありたいって思いました。
実のところかなり情けなくて、
格好悪い私ですけど、、、、
それが
自分です。


じゅじゅささんはホントに格好いいです!
もし私が、豚のデザイン!のレオタードを着ているとしたら、
じゅじゅさんは、
ネイビーのすっごくおしゃれなレオタードを着ている
っていうくらいの大きな差!!!があります。
| Jumi | 2006/07/22 7:08 AM |
ツィマーマンのCDが気に入って「 C minor ラフマニノフ」でググって偶然来たがこのページはそれ以上にすばらしい。
 読んでるうちに…と重なって、涙がボロボロこぼれてきた。力強く美しいJumiさんに幸あれ。
| とある石岡 | 2011/07/20 5:49 PM |
とある石岡様

コメントとてもとても嬉しかったです。とくにここ数日出張中でもあり多忙な事も重なり、とある石岡様から心に温かいエッセンスを頂きました。(*^_^*) ありがとうございます。

この記事を書いてから5年の年月が流れました。
小さかった息子は18歳、もっともっと幼かった娘は14歳。相変わらず不出来で泣き虫な母は支えてもらってます。

あれから、私は成長したかどうか、、わかりません。でも、あの時と変わらず、私は人間が大好きで、人を愛したいと思います。 頭脳明晰でない私が慣れない辛いイギリス生活の中からあらためて気がついたことでした。
ラフマニノフの音楽はいつも私の心の支えです。

とある石岡様にも温かい幸せがたくさん降り注ぎますように(*^_^*)
| JUMI | 2011/07/23 11:21 PM |